津和野の町から城山の方向を眺めると、約1,000本の朱塗りの鳥居がぎっしりと並んだ参道が見える。
その鳥居のトンネルを300mほど登った先に太鼓谷稲成神社がある。
1773年、津和野七代藩主亀井矩貞が城の鎮護と領民の安穏を願って、城山の太鼓谷に京都伏見稲荷から斎き祀ったのが始まり。
東北の竹駒稲荷、関東の笠間稲荷、近畿の伏見稲荷、九州の祐徳稲荷とともに日本五大稲荷の一つに数えられている。
津和野の町から城山の方向を眺めると、約1,000本の朱塗りの鳥居がぎっしりと並んだ参道が見える。
その鳥居のトンネルを300mほど登った先に太鼓谷稲成神社がある。
1773年、津和野七代藩主亀井矩貞が城の鎮護と領民の安穏を願って、城山の太鼓谷に京都伏見稲荷から斎き祀ったのが始まり。
東北の竹駒稲荷、関東の笠間稲荷、近畿の伏見稲荷、九州の祐徳稲荷とともに日本五大稲荷の一つに数えられている。